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yoshi【元ポンコツ看護師】のプロフィール

05/17/2021

【元ポンコツ看護師】yoshiのプロフィール
yoshi【元ポンコツ看護師】のプロフィール

プロフィールにまで来ていただきありがとうございます!

サイト管理人のyoshi【元ポンコツ看護師】です!

突然ですが、今でこそマシになりましたが、私は元々ポンコツでした

ほんと、超ポンコツでした

看護師1年目の時には、毎日のように怒られていました

超不器用で過緊張、物事を覚えられないダメ人間…

  • 教えてもらう先輩には怒られ
  • スタッフステーションに着いたら師長に怒られ
  • 怒られる私をみて患者さんには心配され

怖い先輩に対して患者さんから

『あの子良くやっとるからあんまり怒らんといたって』

と患者さんからも心配される始末(先輩は変わらなかったですが)

そして、いつも優しい先輩からは

『よくこんな怒られまくって耐えられるな。私じゃ耐えられんわ。すごい』

とお褒めの言葉?をいただいたり(この方は本当に嫌味とかではなく言ってくださっていました。何度も救っていただいたので)

2年下の後輩には、その後輩が3年目になった時に

『私が1年目の時にyoshiさんがめちゃくちゃ怒られてたんで、本当にやばい病棟に来たなと思いました』

と言っており、私は後輩に恐怖すらも与えていました

本当にどうしようもなかったです

そんな私でしたが『辞める』という選択肢はありませんでした

ポンコツな私の軌跡

  • 私立大学(理系)卒業
  • 公務員2年
  • 看護専門学校3年
  • 病院就職

私立大学(理系)を卒業して公務員になったのに

2年そこそこで辞めて、看護専門学校に3年通い、親にも迷惑をかけてやっとの思いで就職した病院でしたし

色々言ってくる人たちに負けたくないってのもありました

そんな私がフラフラになりながら2年目になり、まだまだ怒られ3年目になり、3年目の半分が過ぎた頃にようやく並の看護師になっていました(The ポンコツ)

コロナ病棟に異動になった時、私はふと思いました

『こんなポンコツな私だからこそ、伝えられることがあるのではないか?』

そしてブログを書き始めました

頑張って壁を乗り越えたい人、今苦しんでいる人、どうしようもなく悩んでいる人、立ち直れないでいる人…

一人にでも届けばいい

少しでも力になることができたら

そのような気持ちで書いています

こんなポンコツな私でも元気に頑張れていますよという姿を見せることで

    yoshiのプロフィール概略

    【出身】: 関西(現在地も関西です)

    【性格】: 看護師の中でも優しいと言われます(ポンコツな私が優しくもなかったらただのヤバいやつです)

    【経歴】: 関西の私立大学(化学専攻)→公務員→看護専門学校→看護師(消化器病棟→コロナ病棟→消化器)

    大学時代のアルバイトはコンビニ、もつ鍋屋、百円ショップ、単発の派遣

    専門学校時代のアルバイトは個別指導塾の講師

    【部活】: 中学校 軟式テニス、高校 硬式テニス(中高ともに部長を経験)

    【趣味】: 英語学習、旅行、映画鑑賞、音楽、カラオケ、テニス、カフェ巡り、筋トレ、ライブ鑑賞

    【目標】: 自分の経験を生かして他の人のためになること、時間や場所に縛られずに働くこと、新卒の病院に寄付すること(お世話になったので)

    【音楽】: Mr.Children、Official髭男dism、緑黄色社会、back number(昔メンバーと肩組んで写真を撮らせてもらいました!)

    【映画】: なんでも観ます。特に好きなのは、インセプション、ダークナイト、ショーシャンクの空に、レ•ミゼラブル、ライフ・イズ・ビューティフル、ニュー・シネマ・パラダイス、最高の人生の見つけ方、羊たちの沈黙、ジュラシック・パーク、タイタニック…載せ出したらキリがありません

    【入院】: 幼少期に心臓の手術、小学校6年時に心臓のカテーテル検査のため1週間、高校3年時に自転車運転中に事故。一時意識不明。2週間入院

    【家事】: ほとんど全てをこなします

    【尊敬】: イチローさんを尊敬しています(イチローさんのように努力を継続していきたいです)

    私の記憶の始まりは手術室前で叫ぶところから

    『おかあさーん、いややー、助けてー』

    私の記憶の始まりは、幼少期の手術室の前でのこの叫び声からです。泣き叫んでいました

    ベッドかストレッチャーで天井を見ながら運ばれていく。とても恐怖が強かったのだと思います

    『おとうさーん』とも叫んでいたそうなのですが、私の記憶には全くございません。ごめんなさい、お父さん

    こうして私は胸の手術痕とお腹のドレーン痕とともに生きることとなります

    小学校へー地獄だった水泳の授業

    その後の定期検診では問題なく、順調に成長していき、小学校に上がる時には運動制限もなく過ごすことができていました

    ここで私に立ちはだかったのが、『水泳』でした

    Twitterにも書いたのですが

    小学生なので、気にせずにガンガン聞いてくるし、露骨に顔に出されるし…

    時には『サガットやんかっこいい!』と当時人気だったゲームのキャラクターを言われることもありました

    今考えるとそんなに考えることでもなかったんですが、当時は本当に嫌でした

    しかし、病気になって、手術や定期検診、検査入院、運動制限、水泳でのできごとがあったりと大変でしたが、病気になっていなかったら看護師にもなっていないですし、患者さんの気持ちも分からなかったと思うので今ではいい経験だったと思います

    今は、病気になって、手術をしたことも私を作る大事な要素だったと思っています

    中学、高校は部活動

    学生時代はテニス中心の生活でした

    中学はソフトテニス部、高校は硬式テニス部でした

    どちらもまあまあ厳しかったですが、中学校の時は顧問が恐ろしく、どのように怒られずに過ごすかいつも考えていました

    しかも、どちらともで部長をさせてもらったので、何があっても自分が怒られるという嫌な役回りでした

    怒られた甲斐あって?その地域ではまあまあ強かったです

    部活で得られたのは

    • 忍耐力
    • 礼儀
    • 仲間

    です

    部活でこれらを学ぶことができたからこそ今でも頑張れているのだと思います

    高校3年の始業式朝に事故る

    朝、自転車で道を横切ろうとすると横から車にぶつかられました(この時の記憶はないです)

    目が覚めたらアスファルトに横たわっていて、周りに人だかりが…

    体を起こした瞬間『起きたぞー』とザワザワする声が聞こえました

    私はその瞬間『事故った』と悟って、静かに横になりました

    その後、左側頭部を強く打っており、出血もひどかったため2週間入院しました

    この程度ですんで不幸中の幸いでした

    大学は通学に電車で片道2時間

    理系はテストや研究も大変でした

    大学への進学は、最初は医療に憧れがあったため

    診療放射線技師になれる国公立の大学に行こうと考えていました

    しかし、センター試験で大失敗

    なんとか、地方の大学に補欠で繰り上げ合格しましたが

    実家から通える関西の私立大学(化学)に行きました
    (受験勉強を通じて化学が好きになり、化学なら医療に関わる職業に就けると考えていました)

    実家から通えると言っても片道2時間!!!

    今考えたら、本当にアホですね。時間をめっちゃ無駄にしています

    あの時の私に教えてあげたいですね

    『時間は一番貴重やぞ』

    って

    バイトに明け暮れていました

    そのおかげで、単位を落とすこともありました

    この時からアホでした

    医療関係の仕事に就くはずが公務員へ

    大学最終学年になり、就職活動に入ります

    大学の学科は化学で大学院に進む人も多いのですが、周りに化学ができる人が多過ぎて、そこまでだった私は大学院に進学するのは現実的ではないと考えていました

    そこで、研究を行いながら、就職活動を行うことにしました

    医療機器の営業や薬剤の営業(MR)、医薬品関係を受けていきました

    ちょうど、リーマンショック後だったので就職は厳しかったのですが、なんとか数社内定をいただき、研究に集中することができました

    そして、そのまま内定をいただいた医療関係のメーカーに営業職として就職する予定だったのですが

    『やはり医療職に就きたい』

    と考える自分がいました

    その後、親に相談しました

    すると、ある公務員だった父は

    『一度受けてみろ』

    と言って自分と同じ公務員を勧めてきたのです(その公務員には医療職になれる可能性がありました

    受かるはずがないと思っていた私は、その公務員を受けることにしました

    そして、受かってしまいました

    内定をいただいていたメーカーには本当に申し訳ないのですが辞退させてもらい

    公務員として働くこととなりました

    今でも辞退した時のことを思い出します。本当に失礼なことをしてしまいました

    公務員になるもやはり医療職への熱は収まらなかった

    公務員として1年が過ぎたある日、親から祖父が危篤であるとの連絡が来ました

    その時は、一命を取り留めましたが、その姿を見て医療職への想いが再燃しました

    ある程度の貯金もあったことから

    『このままだと後悔する。辞めよう』

    と考え、決意

    すぐに、親に連絡し、上司にその旨を伝えました

    年内に退職し、1ヶ月後の試験を受験

    なんとか合格することができました

    人気の専門学校なのですが、なんとか合格することができました

    老舗の看護学校へ入学。孤独な日々の幕開け

    このようにして、20代後半の私は看護学校へ入学することとなりました

    周りはほとんどが高卒10代の女の子、数人が社会人経験者という感じでした

    そして、覚悟はしていましたが衝撃的だったのは

    私ともう一人しか男がいない!!!

    そのもう一人の男の子は前期で留年して、すぐに学校へ来なくなりました

    孤独な日々の幕開けです

    男一人でハーレムと思われる方もいるかと思いますが

    そんな生ぬるいものではありません

    途中で留年した男の子はめちゃくちゃ言われてましたから(その男の子は変わっていました)

    いつ自分がその立場になるか分からないわけです

    実習やグループワークもあります

    関わらないわけにはいきません

    時には意見をぶつけなければならない時もあります

    地雷を踏まないように注意を払って生きていました

    • 時には息を殺し
    • 時にはその場のノリに合わせ

    女子の世界で生きるというのは中々大変でした

    幸運だったのは、クラスの女の子は良い子ばかりだったということです

    老舗の看護学校だったので人気があり、しっかりした子が選ばれて入学していたんだと思います

    (看護学校に行くのであれば、簡単に入れるところではなく、ある程度人気があるところに行くのがおすすめです)

    ここで女子力が磨かれました

    ここでの経験が就職してからも生かされることになります

    就職してからも孤独はまだまだ続く

    私は、専門学校の付属の病院以外の病院も見てみたいと感じ、県外の同じ系列の病院で働くこととなりました

    そこで待っていたのは想像を絶する日々でした

    まず、初めにここでも病棟に男性看護師はいませんでした

    これは響きました

    看護学校の時にほぼ3年間男一人で過ごしてきたとはいえ

    所詮同じクラスの仲間です

    そして大体はだいぶ年下だったわけです(それはそれでややこしさはありましたが)

    しかし、今回は先輩方の中に1年目の男一人が入っていくわけです

    辛すぎます…

    病棟に同期5人(私と女の子4人)で入りましたが、2人は半年も保たずに辞めてしまいました

    そんなところに男一人ですから辛いものがあります

    試練の看護師1年目

    試練の連続でした

    冒頭でもお伝えした通り、私はポンコツです

    怒られまくっていました

    1. 失敗する
    2. 怒られる
    3. 監視が強化される
    4. 過緊張
    5. 失敗する

    この繰り返しでした

    抜け出したいけど、もう抜け出せないところまで沈んでしまいました

    先輩方もどうしようもない私へ怒りがピークに達し

    薬袋を投げつける始末

    先輩方が怒る理由が私のせいだとわかっていたのでなんとかしたいけど

    そんな一朝一夕で変われるのであれば、とっくの昔にできるようになっています

    病棟が忙しいのもあってみんながカリカリしておりその怒りの矛先が私に向いてきていました

    サンドバック状態でした

    • いっそ辞めた方がいいのでは?
    • 私のためにも、病棟のためにもその方がいいのでは?

    そう思いました

    また、師長にとても苦しめられました

    師長は見ていないのに、勘違いして私のせいだと思い込み怒られることもしばしばありました

    私はなんのことだか分からず、それまでに色々とやらかしているので謝るしかなかったです

    一度、患者さんとのことでトラブルがあり(このトラブルは先輩が起こして私が巻き込まれた形)

    面談室で師長と先輩と私で事実確認の話し合いをしたのですが

    その話が終わるなり、先輩が寄ってきて

    『いつもあんな言われ方してるの?別にyoshiが悪いわけじゃないのに、おかしい』

    と先輩も言う程でした(5年以上経った私が病院を辞めるときにも先輩からこの話をしてくる程おかしいと思ったみたいです)

    そんなこともあり

    『師長室で首を吊ったら少しは反省するのか?』

    と考えることもありました(そんな人のために死ぬのはごめんですが)

    めちゃくちゃ苦しみました

    でもなんとか一年目を乗り越えました

    長い長い一年でした

    そのころの私の病棟は師長の権力の強さから、他の病棟の看護師に『北朝鮮』と呼ばれていたと後から聞きました

    後輩ができたが変わらなかった2年目

    苦しんだ1年目が終わり、やっと2年目になりました

    様々な情報から

    『2年目になれば長いトンネルから抜け出すことができる』

    と思っていた私はやっと辛かった日々から抜けだせるのだと思っていました

    しかし、それはポンコツではない人のお話

    ポンコツである私への監視の目は緩みませんでした

    それどころか、できない2年目ということで

    『今まで何してきたん?』

    攻撃が始まりました

    抜け出せると思っていたトンネルはまだまだ長かった…

    いつになれば抜け出せるのか。この時はまだまだ想像もつかず途方に暮れていました

    しかし、1年も続けていれば良いこともありました

    顔馴染みの患者さんが増えていったのです

    再入院してくる患者さんにとっては良いことではないですが、仲良くなった患者さんとの再会は私に元気とやる気を与えてくれました

    • 『元気にやってる?』
    • 『採血上手くなったやん』
    • 『姿勢が良くなってるやん』(いつも自信なく猫背で歩いていたため)

    と声を掛けていただきました

    本当は私が元気づけなければならないのに、私が元気付けられていました

    看護師を続けられたのは間違いなく患者さんのおかげです!

    奈落の底から抜け出した3年目

    ここで長い人生のトンネルから抜け出せた
    やっとここで抜け出せました

    ここで転機が訪れます

    病棟の師長が変わったのです

    私は心の底から喜びました

    『これで雰囲気が変わる』

    そう確信しました

    始めの半年は変わらずに経過していきましたが

    段々とやりやすくなっていきました

    他の看護師も生き生きとし出したのがわかりました

    『こんなにも師長によって変わるんだ』

    と思いました

    私も、師長が変わったおかげか、経験を詰んだからかはわかりませんが

    心に余裕ができ、ミスも少なくなり、やっと並の看護師になることができました

    遂に北朝鮮から解放されました

    余裕ができだした4年目以降

    4年目からは余裕が出てきました

    消化器以外のことも積極的に勉強しようと考えて、休日はセミナーに出かけることも多くなりました

    値段は高かったけど(1回1万円台後半!!!)

    学びには繋がりましたし、仕事へのモチベーションにもなりました

    そして、心電図検定2級の取得やTOEICの勉強等

    将来に繋がる勉強をし出すようになりました

    看護師は余裕ができてきたら

    時間も他の職業よりは自由が効きますし(夜勤があり、夜勤明けや休みを使える)

    給料も同年代に比べてたらもらっている方なので

    結構自由に過ごすことができると思います

    私はその自由を自己投資に当てていきました

    感染症(コロナ)病棟で人生が動いた

    2020年、私の人生も、皆さんの人生も大きく狂わす事態となりました

    そう、コロナウイルスによるパンデミックです

    私の病院もその対応に追われました

    最初は、一つの病棟を感染症(コロナ病棟)に変更するだけで対応できましたが

    時が経つに連れて人員不足が露呈してきました

    そこで、2020年3月中旬私にも声がかかりました

    金曜日の夜勤明けに伝えられて、翌週の火曜日には感染症病棟で働いていました

    せっかくの夜勤明けからの3連休だったのにとてもナーバスになったのを覚えています

    今でこそ、コロナについて分かり始めていますが

    私が勤務し出した頃は治療もまだまだ手探りな状態でしたし

    急に呼吸状態が悪化→人工呼吸器装着という流れが多かったです

    また、コロナ病棟には係長クラスの経歴の長い看護師が多かったのでポンコツな私はとても緊張しました

    働き始めた最初の1ヶ月は恐怖との戦いでした

    • 自分が感染するかもしれない
    • 急変したらどうしよう
    • この機械の使い方わからない

    初めての他病棟の勤務でもあり、わからないことだらけでパニック状態で日々を過ごしていきました

    そうこうしているうちに1ヶ月が過ぎ、緊急事態宣言の効果が出始めたのか患者の人数が減っていき病棟も落ち着いていきました

    その頃には大先輩ともお話しできるようになり、専門看護師や認定看護師の資格を持った方の話を聞いたり、国際活動を目指している方の話を聞いたりして刺激を受けました

    • もっと私も何かやりたい。将来に繋がることを
    • こんなポンコツだからこそやれることがあるんじゃないか
    • せっかくコロナ病棟も体験したし、誰かの役に立てるように発信してみよう

    そうして、ブログを始めてみました

    今もまだまだ多くの人が見てくれているわけではありませんが、コメントをもらうととても喜び、やってみて良かったと思いました

    私が苦しんだように、今苦しんでいる人の助けになれるんならやる価値があると感じています

    昔の私を助けたいと思っているのかもしれません

    病院を辞めて新たな旅立ちへ

    新たに動き出します

    看護師としてこのまま働き続けるよりも、もっと幅を広げていきたい

    その思いが日に日に強くなっていきました

    2021年8月、勤務希望調査が行われ、その際に看護師長と係長に2021年3月に辞職する旨を伝え、私の希望通りに退職させていただきました

    ポンコツでどうしようもなかった私ですが、この頃には『できれば病院辞めたくないな』と思うようにまでなっていました

    邪魔者のように扱われていた私が

    先輩や後輩から気軽に声をかけてもらえたり、食事に誘われる仲になっていました

    1年目の時は本当にしんどかったですが、続けて良かったと心の底から思います

    ここまで読んでくださりありがとうございます

    これを読んでくれているあなたは毎日が苦しい日々かもしれません

    そんなあなたの力に少しでもなれればと思います

    相談や質問、いつでも受け付けています

    ぜひ、コメント欄にお願いします!

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